日日是好日

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新型コロナウィルスというウィルスの名前が世に出回るようになってから1年が経とうとしている。1年前はこんなにも世界中を苦しめるものになるとは思っても見なかった。

気づくと私はブログを1年書いていなかった。でも何も考えて無かった訳では無くて、むしろ色々な事を、無い頭でいっぱいいっぱい考えた1年だった。こうやって私がのんきに生活している間にも、医療現場では、自らの命を危険にさらしながら患者さんの命を救う事を最優先に戦って下さっている医療従事者の方々がいる。本当に頭があがらないし、心より感謝している。分かっている。頭では分かっている。しかし、この1年、自分の心の中に、言葉には言い表せない感情があった。

思えば昨年の暮れ、突然の電話に愕然とした事から始まった。息子が幼稚園に行く前から家族ぐるみでお付き合いのあるご近所の旦那様から。「妻が亡くなりました。」

「え?」とっさに旦那様が何をおっしゃっているのか分からなかった。「実は癌を患っていまして・・。」と。嫌そんなはずない。だって先日も駅でばったり奥様にお会いして、息子の背がずいぶん高くなったとびっくりされていた。いや、だって私と年齢だってそこまで変わらなかった。何で、何で何で、、、。訳が分からぬままご自宅に伺うと、棺の中に彼女が居た。穏やかな顔で。頭の中に色々なシーンが蘇った。まだやっと歩き始めたばかりの息子をかかえて一緒に行った子供広場。ご近所3家族で毎年恒例だった夏のBBQ。何故かご近所3家族の長男が皆1月生まれだと分かり始めた合同誕生日会。子供の大好きなクリスマス会・・・。小田原という土地が私にとってまだ良く分からない、馴染めない土地だった頃から、共に子育てをしながら色々な事を共感し、戦ってきた同志。たんなるママ友なんていう言葉には収まらない貴重な存在だと私は思っていただけに、本当に衝撃だった。何で何も話してくれなかったんだろう。どんなに苦しかっただろう。どんなに辛かっただろう。どんなに無念だっただろう。色んな感情が一気に押し寄せて私はどうしたらいいか分からなかった。でも残されたご家族の事を考えると、私なんか泣いちゃいけないと思った。泣く資格もない。何もできなくてごめんなさい。ただ、ただ、そのご家族のこれからの幸せを心より願うばかり。だって絶対彼女が1番そう願っていると思うから・・・。

そうして私は知った。頭では分かっていたが、身に染みて痛感した。

命には限りがあるという事を・・・。

そこから私は、私なりに必死になった。生かされている間、自分の出来る事を出来るだけ頑張ろう、と。

まずは地元の音楽家協会の2/29のコンサートだ!本番1か月半前に曲目変更を余儀なくされて、一時はパニックになったが、自宅のピアノ以外での練習の必要性を感じ、近所の公共施設のピアノを借りて自分のリハーサルも終え、さぁ、残るは協会のゲネプロ、本番を待つばかり、という時だった・・・。「コンサートは中止となりました。」

本番5日前。ちょうど新型コロナウィルスの影響で地元の小中学校が休校になると騒ぎ始めた頃だった。

「何で・・・。」いや、頭では分かっている。協会の決断は正しい。地元のお客様はご高齢の方も多いので、お客様の健康や安全が1番大事だという事。

チケットをご購入頂いたお客様に大至急謝りの連絡をいれながら、私は悔しい思いをかみしめた。

それからが悪夢の様だった。地元の小中高校が休校となり、地元にも感染者が出始め、ピアノ教室も休校せざるを得なくなり、式典などの伴奏、演奏の仕事も軒並みキャンセル、コンサートもキャンセル。

私は一気に無職になった。地元のスーパーは開いているのに。病院も開いているのに。役所も開いているのに。

音楽はそんなにも人々に必要ないのか。不要不急なのか、、、。

私は音楽業界では底辺の人間だとは思っているが、それでも、人生をかけて音楽をしてきた。

4歳から始め、幼少期からピアノの練習は毎日2時間は当たり前だった。レッスンには母親が付き添い、レッスンで注意された事を母がメモをとり、練習する日々。幼稚園のころお友達の誕生会に呼ばれて「ピアノの練習の時間だから。」と早く帰らなければならない悔しさ。まだケーキ食べてないのに。小学校になって大きくなり自分で電車に乗ってレッスンに行っても、カセットテープにレッスンを録音して、家で練習。家族で旅行に行く宿の選択基準は、ピアノがあるかどうか。コンクールで上手くいかない時の先生の怖さ・・。小学生の高学年では毎日3時間練習は当たり前だったし、音大付属に行くと決めてからは塾にも行って忙しかったから、テレビなんてほとんど見たことが無い。だから、友達とアイドルの話しなんてできない。「日本昔話(レッスンの土曜日、30分だけ許されていたので。)しか見たことない」なんて、小学校高学年でありえないでしょう?そんな事言えないから、ただいつも聞き役ばかり(笑)。そんなこんなで学校の合唱の伴奏や指揮はいつもやっていたのだが、「なんでいつもアキちゃんばかり?」と文句を陰でいう子もいたり、いなかったり・・。(「だったら私と同じだけ練習してみてよ。」と思っていた。)

音大付属に入ったら、入ったで、弾けるのは当たり前。小学校の頃に習っていた先生との教え方の違いに戸惑い、悩み・・。弾き方そのものを否定される日々。最初の1音に3時間かかるレッスン・・・。帰りのバスで涙したこと数知れず・・。

もっともっと良いこと辛いこと、ピアノと向き合う中でいっぱいあったけど、そんな事全部否定されている錯覚に陥った・・・。

そんな時、出会った映画が「日日是好日」。

元は禅語のひとつの様だが、この映画を初めて家で観た時、 心がスーッと軽くなった。黒木華さんが演じる主人公が樹木希林さん演じる茶道の先生から手ほどきを受けるといういたってシンプルなストーリーなのだが、これが良いのだ。映像と音楽の絶妙なマッチも素晴らしいし、何より俳優さんも素晴らしい。セリフの無い時の佇まい・・実際、全身癌だったと告白してからもなお俳優業を全うされる樹木さんの気高さや気丈さみたいなものを強く感じた。

映画の中のセリフにもハッとさせられる。

何でも頭で考えない。

雨の日には雨を聴く。雪の日には雪を見て、夏には夏の暑さを、冬には身の切れるような寒さを感じる。

あるがままを感じる日々の素晴らしさ。

そうだ。私は生きている。生かされている。何も変わらない。

茶道の心得の「一期一会」をかみしめながら、私の出来る事を一歩一歩やっていこう・・・そう思えた作品でした。

映画の中にこんなセリフも有りました。

「立春が何故1年の中で一番寒い日なのか知ってる・・・?」

「それは、これから春だ、もうすぐ春だ、あたたかい春が待っている、と厳しい冬を乗り越えるための先人の知恵なのよ。」・・・と。

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