受動的から能動的へ♪

春に近づいてくると、体験レッスンや教室へのお問合せが増えてきます。当教室のお友達以外の生徒さんと接する機会が増える事で色々な事が見えてきます。他教室に何年か通われている方などもいらっしゃるのですが、そのような方の中に、お教室に入る所から靴の脱ぎ履き、上着の脱ぎ着、テキストの出し入れ・・・すべて付き添いのお母様がやって下さっている方がいらっしゃいます。お母様は愛情いっぱいで、しかしとても忙しそうなのですが、当のご本人は違う方向をみて「まだかなぁ・・」などと退屈そうに待っているご様子・・・。私はそんな時、「自分でできる事は自分でやろう!」とすかさず、お仕度の伴奏をピアノで弾いて促してしまいます。当教室は3歳から受け入れているのと、障害のあるお友達も受け入れているので、時と場合によっては臨機応変に対応しますが、大抵のお子様はやればできるものなのです。

何故、その様な事にこだわるのか、ピアノとは関係ない事なのではないか・・・と思われた方もいらっしゃるでしょう。いえいえ、これが関係あるのです。

私もまだまだ勉強中、未熟者ですが、かれこれ20年程ピアノを教えておりますと、やはり見えてくるものがあります。ピアノを習う・・・という事は、言葉を話す事ととても良く似ています。初めは、あ~とか、う~とか声を発する事、周りの話せる人から単語をまねっこして習い、だんだん会話を習い・・・最終的には自分で感じた事、考えた事、意見も言えるようになっていく・・・。

ピアノも、初めは歌やリズム、音符をまねっこ(摸奏といいます)から習って・・・最終的には、自分で楽譜の中の音符、リズム、速度、曲想、フレーズ、楽語・・などを読み取り、自分でその曲を弾きこなす、自分を表現できるようになっていく・・・。

そうなんです。最初は、受動的から始まるのですが、最終的には能動的になっていくものなのです。なっていくべきなのです。この「能動的になるタイミング」が肝だと私は最近思うのです。ヤマハでも研修などでよく勉強しましたが、「適期教育(てきぎきょういく)」・・といって、その年齢、その子の成長に適した教育というものがあります。初めから難度の高い事をやっても効果はあまり無いし、かといって、初めて何年も経つのに簡単すぎる事をいつまでもやっていても飽きてしまう・・・。ここだ、という時に手を少しずつ離していく・・・自分でできる事を増やしていく・・・。特に読譜力について、これはとても大事な行程だと思います。

私もかつて子育て中は過保護の親でした・・・。この年齢でまだ鼻もかめないの・・?まだ靴ひも結べないの・・?まだ爪も切れないの・・?・・・・(*_*;はい、良く言われたものです。

ただ、今になって思うのは、やはり自分で出来る事が増えると、自信がつきます、やる気がでます、楽しくなってきます。いつも指示されて受け身の受動的から、自ら発信できる能動的な状態へ・・・。

そういえば、楽しそうに弾く上級者の中高生に共通する事は、その時点で能動的になっています。

「次はこれ弾きたい」「こんな音が出したい」「自分に酔いしれたい」?!・・・。

音楽的にも自立して、能動的になっていける事、それが結果的に「やっぱりピアノって楽しい♪」につながっていくのです。

以上のことにより、保護者の方が見学(見学は自由です)されていてもいなくても、私は日々のレッスンで「できる事は自分でしよう!」

受動的から能動的へ・・・とこれからも伝えていこうと思っております(^^♪

 

 

☆一期一会☆

昨年12/10の演奏家協会のコンサート以後から、何となくブログの更新がいつもに増して遅くなっていたのには・・・実は理由がありました。コンサートの成功に浮かれてルンルン気分でご報告の電話連絡を恩師にしたところ、ご主人が出られて、先生が急遽入院された事を知りました。聞く所によると、先生は駅で足を滑らせて転んでしまい、大腿骨を骨折なさり、救急車で救急医療病院に搬送され、長期入院が確定的になったとの事でした。

ご主人からそのお話を聞いている時、私の血の気がさーっと引いていくのが分かりました。80歳を超えてもあんなにお元気で毎月、出来の悪い私のレッスンをエネルギッシュに見て下さっていた、今まで入院や大きなご病気などほとんどされていない・・あのいつもお元気な先生が、今は身動きとれず、寝たきりに入院されている・・・。聞けば、お怪我をなさった日が私のコンサートの一日前。きっと私がコンサートが終わってわいわい騒いで浮かれていた時、先生は痛みに苦しんでおられたのだ・・・「なんて私は愚か者なんだろう・・」本当にショックでした。

それでも嘆いてばかりはいられず、まずはいつもお世話になっている門下の先輩方(私が門下生のなかで一番下の学年なので、上は70代~40代まで本当に沢山先輩がいらっしゃいます。)に連絡をとって、ご主人から1週間毎に先生のご様子を伺い、先輩方に伝える・・という状態が何度か続きました。そんな中、またあろう事か、経過も良くリハビリに向かえる状態になった先生が、病院内で2度目の転倒で、2度目の手術・・・。

この状態になると、「先生はもう車いすのまま歩けなくなってしまうのでは。」とか、「先生のレッスン、もうされないかもしれないわね。」・・とか悪い噂も出始め、本当に気持ちが沈んでいく自分がいました。どうしよう・・・私はどうしたらいいのだろう。私が小学6年生の夏休みから今まで、当たり前の様に支えて下さった先生のレッスンが、もう受けられないかもしれない・・そう思うと、ピアノの前に座っても弾く気になれず、気の抜けたような状態(・・とは言え、ピアノ教室のレッスン、日常生活はしておりましたが・・*)が続きました。

そんな時、昨年11月の門下のpochi-pochiコンサート(pochiとは昔先生が飼われていたコリー犬の名前)でもお世話になった年長者の先輩が、どんなに今私達忙しくたって、あんなに熱心に教えて下さった先生が今こんなに大変な状態なら、何を差し置いても何か力にならなくては・・だって今があるのは先生のお陰・・何か私達の気持ちを表さなければ・・とおっしゃっいました。お見舞いには病院の都合もあって大勢で押し掛ける訳にはいきませんが、代表の方が門下生の私達の気持ちを届けてもらうようにしましょう・・と話しがすすみました。そうして、都内でお見舞いについての話し合いを経て、先生へビタミンカラーのブリザーブドフラワーをお届けできる形となりました☆代表の先輩のお話では、今はリハビリを熱心に励んでおられ、少しは車いすから立つ事も出来る様になられた・・という素晴らしいご快復ぶり。

あ、そうだった・・先生はこんな事でくじける様な先生ではなかった・・。息子さん3人育てながら大学教授になられた(噂によると出産後はいつも1週間でレッスンに復帰されていたとか・・(*_*))、1音出すのに3時間レッスンして下さるあのパワー・・・。いやいや、そうだった・・先生はすごいパワーをお持ちだから、きっとリハビリも人一倍頑張られていらっしゃるはず(^_-)-☆

前向きな先輩との交流の中で、又先生のご快復の様子を耳にして、私も少しずつ元気を取り戻していきました。と、同時に今回の経験で気づかされた事がありました。それは、1回1回のレッスンがナマモノなんだ・・・という事。発表会などの本番を前に私から生徒さんに「本番はナマモノ。たった1度きりの貴重な経験なんだよ。」と話していますが・・・、

レッスンもそうでした。目には見えないけれど、1回1回のレッスンも、同じ事が二度とない、たった1度きりの貴重の時間。そうやって考えると、楽譜の中の音符につけられた先生のなにげない〇がただの〇には見えなくなってくる・・・?!

よく考えてみると、ピアノレッスンって、習う側も教える側もエネルギーを出し合って作り上げていく、貴重な素敵な時間なのだと思う。私など、まだまだ恩師の足元どころか足の爪にも達していない未熟者ですが、今回の経験を胸に、日々のレッスンを大切にしていきたいな・・と改めて思いました。茶道の言葉で、「一期一会」という言葉があります。一般には、人と人の出会いに使われていますが、元は1回1回の茶会を大切にする・・という意味があるそうです。

「一期一会」の精神で、レッスンができる様に、私もなっていきたいです(^^♪