2023.2.23(木祝)二宮町生涯学習センター/ラディアンで行われたガラ・コンサート、お陰様で無事終了しました!!~光溢れる春に希望を乗せて~という副題のついたこのコンサートは二宮演奏家協会主催、二宮町・大磯町教育委員会後援で、演奏家協会としては43回目となりました。まずは、このコンサートにご来場頂きましたお客様、尽力頂いたスタッフ、関係者、出演者の皆様、この場をお借りしまして心より御礼申し上げますm(__)m
今回このコンサートに私はピアノソロで出演させて頂き、リスト作曲「巡礼の年第3年」より”エステ荘の噴水”を演奏させて頂きました。
ご来場頂いたお客様からは、キラキラとした音色が素晴らしかった、最初から最後まで展開が楽しみで芸術だなと思いました、噴水の様子が目に浮かぶ様だった、などなど沢山のご好評を頂き、私としても久し振りに演奏を終えた後の充実感を味わう事ができ、ラディアンのスタンウェイを気持ち良く弾く事ができ、心から感謝しておりますm(__)m
このガラコンサートは、二宮演奏協会としてもコロナ期間を乗り越え、故・白井英治先生(元東邦音大特任教授)から新しく会長になって下さった桑田葉子先生(二期会などでご活躍)の会長交代のお披露目のコンサートでもありました。
ですので企画して下さった幹部の方々も熱が入り、盛沢山のプログラムとなりました。
地元の大磯町立国府中学の吹奏楽部の賛助出演、中田喜直の世界と題した合唱や声楽ソロの出演、ヴィオラやコントラバス、マリンバ、ピアノソロ3名、ピアノ連弾2ステージ、声楽ソロ6ステージ、声楽とのアンサンブルもの2ステージ、、、。
当日は13:30開場、14:00開演だったのですが、夜の部には他の団体が会場を押さえていた事もあって、17:00には片付け含めて全員退場しなくてはならず、、、(公立の会場はこういう所が結構厳しいのです(*_*))、休憩や出入り含めると2時間強、、、。え、、とこのプログラムでは厳しいのでは、、?!
はい。それが1週間前2/16のラディアンでの会場リハーサルで分かり、「大八木さん、悪いけどピアノソロ1分カットして下さい。」、、、、??!え、、、1分カット??
そこからが大変でした。
人前で演奏したことの有る方ならお分かりかと思いますが、大抵このようなコンサートで本番1か月位前には曲を暗譜して仕上げをしていなければならず、たった1度しかないやり直しの効かない本番ですから、1回目である程度の結果が出せるように、練習してない朝一で弾いたり、録音したり、弾き慣れていない他の会場のピアノを借りて弾いたり、、色々試して形を作って、リハーサルを迎えます。そのリハーサルでの1分カットはきつかった(*_*)
しかし当日聴きにきて下さるお客様に言い訳をする事も出来ないので、リハーサルで録音した音源を頼りにリハーサルが終わってすぐ家に戻り、カットの場所を決め、再度、形を作る事になりました。
自宅に夜戻ると、留守番電話のランプが光っています。だれだろう、、と気楽な気持ちで留守ボタンを押すと聞き慣れない声で「結城恵子の姪の~と申します。至急連絡したいことがありますので、お戻りになりましたらご連絡ください。」
結城先生とは国立でつい先月1/20にもレッスンして頂いた恩師だ。何だか不吉な予感がして慌てて先方へ電話をする。
「突然で申し訳ありませんが、結城恵子が亡くなりました。」
え、、?え、、?いやそんなはずない。だって先週2/10金のレッスン前日、「体調悪くなったからキャンセルさせて。何だか鼻血が出てしまって気分が悪いの。」と先生からお電話を頂いたばかりだ。
「そうなんです。家族も突然でびっくりしていて。大八木さんの名前が手帳の上に書いてあってキャンセルした時の電話番号があったものですから、、。あれから日曜日に自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれ、本日2/16午前11時、脳溢血で亡くなりました。89歳でした。」
突然のことで、頭が回らない。涙もでない。それから葬儀の事の詳細やら、門下の先輩への連絡やら、、諸々。自分でも何をしていたか思い出せないくらい。何を話していても言葉が頭に入ってこない。「頭が真っ白になる」とはこういう事をいうのだ、と思い知る。
あとで知る事になるのだが、門下の中で一番最後にレッスンして頂いたのは、私だった。一番最後に話をしたのも私だった。
「では、体調良くなられたら、連絡ください。」
「もう。私よくなるか分からないから、自分で頑張りなさいよ。全く、いつも余裕がないんだから、、。じゃ、がんばって。」
「はい。」
まさかこの会話が最後になるとは思いもしない。
あー、あの1/20の時が最後のレッスンだったのか、、。暗譜、失敗したし、先生に最後にいい演奏聴いて頂けなかった、、、。悔しい。
そして気づいた。人生1度きり、って結構あるんじゃないか。茶道で大切にしている言葉「一期一会」。
これが人生最後になるかもしれないと思って稽古する。
そんな事今まで考えた事も無かったが、その時の私にはその言葉が頭にしみる。
もう後悔したくない。
それからはガムシャラに本番で弾く曲の事だけ考えて行動した。
結果、、、珍しく、本番あとに何の後悔も無かった。すっきりとした充実感。
守って下さったのかもしれない。
小学校6年の夏、その当時お世話になっていた恩師(田浦直美先生)のお母さまの故・松島和子先生(芸大声楽科ご出身で、お二人共名古屋が同郷)の紹介で、初めて結城先生にお会いした時、本当に緊張した。レッスン室の緑のソファーに座って、同じ6年の国立音大付属中学を受験する生徒との4名での弾きあい。試験曲だから全く同じハイドンのソナタ。結局、入学式のあと先生のレッスン室で顔を合わせたのは私と秋山さんの二人だけだった。
その秋山さんと先生の葬儀で久しぶりに顔を合わせた。お互い目を真っ赤にしながら笑いだす。
あの時は怖かったよね!弾いてる時の咳払いで心臓縮まったよね?先生の機嫌の悪さは、咳払いの仕方と、頭ポリポリ具合で分かったよね?、、、とか。泣きながら、笑いながら、、、。
そして現在は小学校の音楽の先生をしている秋山さんは言った。
「でも、こうやって教える仕事してると、先生を思い出すのよ。」
私もそうだ。
「こちらが望むも望まなくとも、、ね(笑)。きっと先生のエキス、私たちに染み込んでるのよね。」
そう。小学校6年から付属中学、高校(高3の1年は高校ご定年で違う先生に見て頂いた。)大学の10年、、、。先生も国立音大の助教授から教授になられ、私たちが大学4年の時、退官。そのあと社会人になっても現在まで私は世話になっていたのだから、きっと、エキス染み込んでる、、はず?!
先生は、音に対するこだわりが半端なかった。
「違う。」「違う。」と最初の和音だけで、1~2時間はざらだった。
先生のエネルギー、時間、人生をかけたエキス。
無駄にしてはいけないと強く思った。
先生からみたら、まだまだだね、、、と当然言われると思うが、私なりに出来うる限り、ピアノを弾き続けて、その恩を少しづつでも返していけたらと思う。
先生これからも見ていて下さい。
先生、本当に本当に、、、有難うございましたm(__)m